お寺で料理する様子

仏教ってなんだろう?

その問いかけから。

What's Buddhism?

We continue to think about that question.

「仏教かもしれない」
それ、良いかもしれない

Our Vision

21世紀の今、我々人類の歴史は重大な分岐点にあると言われるようになってきています。科学技術は快適な生活と健康寿命の増大をもたらしてくれましたが、それに伴う環境汚染は種としての人類を滅ぼす勢いです。

グローバル経済と国際政治は複雑怪奇な利権構造を生み、富の偏在は各地で悲惨な紛争や非人道的行いを誘発しています。

今こそ人類は変わらなければならない。現代を代表する知の巨人、アーヴィン・ラズロ博士は言います。「個人を起点にした論理の世界は終わりにして、全体としての論理に生きなければならない。神や王権を起点にした文明から変わってきたように。」

「エゴに縛り付けられた自分へのこだわりが他者を傷つけ、自分を痛めつける。すべてが因果関係で繋がりあっていることに気づき、自分を基準にした固定概念から脱却するべきだ。」こちらはラズロの言葉ではありません。2500年前の聖者、ブッダの言葉です。

ヨーロッパに起こった産業革命以降、私たちは神や王権の権威から脱却し、科学的な知見をもとに個人の自由を追求してきました。その過程で、生きる指針、世界観、見えざる他者への眼差しというものを失ってきたような気がします。たしかに今、人類は変わらなければいけない時を迎えているのかも知れません。

その指針はどこに?私たちは思います、それは仏教かも知れない、と。

実験寺院 寳幢寺の
「着想」

実験寺院 寳幢寺という「場」を着想したお二人に、その想いを聞きます。一人は出家という実践者の立場から、もう一人は研究者という観察者の立場から。ひとつの場を創った対照的な2人は何を語るのでしょう。

松波 龍源

松波 龍源 まつなみ りゅうげん

実験寺院寳幢寺 僧院長

日本は統計上、世界有数の仏教国ですが、先人たちの開拓した知見を十分に活用できているのでしょうか。その疑問が、「実験寺院 寳幢寺」の始まりであり、全てです。

形骸化、化石化した状態から、どうやったら逃れ、生き返ることができるのか?それを考え、実行に移すことこそが、今を生きる日本仏教僧侶の使命ではないのか。だから、私は「伝統的な寺」にサヨナラしようと思う。原理主義、前例主義やノスタルジーではなく、日常、リアルな生活に根ざした仏教の進化を目指したい。

既存の仏教的慣習や、信仰のかたちを今までのやり方にとらわれずに探し続ける。人々が、本当の幸福を求め、足場にできる場所、それが寳幢寺の目指す「寺」だと思う。

藏本 龍介

藏本 龍介 くらもと りょうすけ

東京大学東洋文化研究所・准教授

運営者から手放された「実験寺院 宝幢寺」は、現在、様々な方々の手によって自生的に成長しています。宝幢寺の門はいつでも誰にでも開かれています。その他の個性豊かな方々と関わり合いながら、みなさんなりの「仏教の探求」ができる場となっています。

仏教然り、規範だけが残り、それらがもはや私たちの生活に意味をもたらしてくれないのであれば、その制度の存在意義は薄れてしまいます。それゆえに各時代・各地域を生きる人々によって、新たな教えの意味が探求されてきました。それはその都度、理想的な生き方や世界を想像するという営みにほかなりません。こうした探求という営みこそが、制度の再創造の原動力となりうるものです。宝幢寺プロジェクトは、まさにこの「探求」を促進することを目指しています。

実験寺院 寳幢寺の
「展開」

生み出された「場」に関わり、維持と発展に協力する多様な人々にお話を伺います。様々な角度から、何を期待し、何を見出しているのか。説明が難しい「実験寺院」という現象に、外側からの光を投げかけます。

北西 剛

北西 剛 きたにし つよし

きたにし耳鼻咽喉科院長

医療と仏教に対する考え方としては、生きている 間は医療のしごと、亡くなってからが仏教のしごと。

お寺には、病気になって、病傷快癒をお願いする時に行く。

そんな話を耳にしてきましたが、果たして医療と仏教は、 ただそれだけの関係なのでしょうか?

比嘉 将大

比嘉 将大 ひが まさひろ

座敷わらし(見習い)

「DIYでお寺になった場があるんだけど、来てみない?」とお誘いいただいたのが 2 年程前のことでした。

お寺ってそんな簡単につくれるのか、不思議に思いながら訪ねた記 憶があります。

「いま、ここで」新たにお寺が生まれうるということは一体どういうことなのか、想像がついていませんでした。

絹川 雅則

絹川 雅則 きぬかわ まさのり

公成建設(株)代表取締役

居心地の良さを感じてしまうのは何故なのだろう?

もちろん、松波僧院長ご夫妻の人柄によるものが 大きいのだけれど、どうもそれだけではなさそうだ。

長らく追跡してきた「まちの縁側・3rdplace・ 居場所」というkeywordに関係があるように思うのだ。

私たちのヴィジョン

私たちは、常に変化と共にあった。

過去からイマ、この瞬間から未来へと。宇宙のチリであった僕らの祖先が、単なる一つの細胞から、より複雑な生き物へと。海から陸に上がり、4足歩行から2足歩行へと。

ある時、僕ら自身を変えることを止めて、周りを変え始めた。今や周りは、モノや情報で溢れている。溢れているけれど、満たされない何か。何かを満たすものは、常に私たちの中にあった。それは目には見えないが、誰しもの中にある「こころ」。今、また、私たち自身を変えるときが来ているのかもしれない。

2500年前にブッダは、その道を照らしていた。夜の終わりを告げる日の出へと、一緒に歩き出そう。自分の中へと、旅を始めよう。

この国に、寄付の文化を

Creating a culture of giving.

私たちは、活動資金のすべてを皆様からの寄付で賄うことをポリシーとしています。

それはまず「清浄なお寺」でありたいため。そしてこの国で「寄付」の文化を表現したいためです。利害関係、損得の勘定、価値の交換ではなく、互いに敬意と喜びを「与え合う」という精神文化を。

損得勘定なしに与えたとき、そこに真の豊かさが生まれます。与え、与えられ。豊かさが増大しながら巡っていく。そんな社会を夢見て。 私たちは、私たちにできることを、社会に放出していきます。「奪い合い」でなく、「与え合いの輪」に。

ご寄付のページからオンライン決済・銀行振り込みにて受け付けています。