日本は仏教国?世界と日本の認識のズレ

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前回の考察では、統計データを参照して世界の「仏教国」について見てみました。(前回記事参照

それによると、日本は仏教徒人口で世界第三位、仏教徒の国内総人口比で世界第八位、GDPによる「国力」では圧倒的トップレベルの「仏教大国」です。

たしかに、日本にはものすごいレベルの「仏教美術」がたくさんあります。千年を超える伝来の遺品もたくさん残っています。凄まじいレベル・規模の寺院がまだ現役で活動しており、保存されている仏像・仏画・法具類のクオリティーでは間違いなく世界随一と言って良いでしょう。

仏教系寺院の数は、文化庁の統計で7万7千ヶ寺、実数はもっと多いでしょう。よく言われる「コンビニよりお寺の方が多い」は事実でしょうか?調べてみたら本当でした。コンビニの数は約5万8千。2万も差があります。

「お坊さん」はどうでしょう?登録されている仏教系宗教法人による「プロの僧侶」の数はおよそ35万人。これは文部科学省発表の高校教員の総数約25万人より10万人も多い数です。日本には高校の先生よりお坊さんの方が10万人も多い。

凄い数だと思います。この数字だけ見れば「仏教大国」は間違いない。

しかし、実際の「動き」についてはどうでしょうか?経済に注目してみます。

前回の統計データを使って計算してみると、日本の「仏教徒」総数は約4千6百万人でしたので、約600人の「仏教徒」でひとつの寺を支えている。約130人の「仏教徒」がひとりの僧侶を支えているという事になります。

これはまた次回以降どこかで解説していくことになる事項ですが、本来、というか、現在の世界標準的な「普通の」仏教徒としての考え方では、お寺、僧侶は主体的に経済活動に関わりません。全ては布施=寄付によって成り立つというのが前提となっています。そして僧侶個人の「私有財産」というのは基本的に認められていません。

ところが日本は、前回挙げたデータで、世帯あたりの月間寄付金額平均が280円でした。「世帯」ですから、成人がまぁ2人と考えますと1人あたり140円。

そうすると、「寺院」で考えれば月間の寄付収入は約8万4千円 、僧侶1人あたりの月間の寄付収入は約1万8千円ほどとなります。これはとてもではないですけれど、今の日本の貨幣経済の中では成り立ちません。

この視点から見れば、日本は「仏教最貧国」です。

しかし、見てきましたように日本にはコンビニを遙かに上回る数の寺院があり、高校の先生よりずっとたくさんの「僧侶」がいて、それらは存続していますし、皆さんもご承知の通り、高級外車を所有し、花街に入り浸り、ゴルフに興じる「僧侶」達の姿も見受けられます。

つまり「寄付」以外の収入があり、「私有財産」が存在している。つまり、トレード=「商業行為」=「寄付」ではない金銭のやりとりがある、そして土地収入や投資投機のマネーが、寺院・僧侶によって得られていると言うことです。

想像は付くと思いますが、現在の日本で、いわゆる「寺院」が得る収入の最大の柱は「葬儀」だと思われます。

平成26年の政府統計調査の結果による、この年の「葬儀」に関わる総売上高、いくらだと思います?

1兆5432億円(!)

日本消費者協会による、2017年の葬儀費用全国平均額は195万円だそうです。そのうち「寺院への支払い」は47万円だそう。

年間死亡者数は130万人程だそうなので、少なく見積もって「仏教」で「葬儀」が行われる件数が年間100万件ほどでしょうか?

そうすると、47万円×100万件なので、単純計算で4千7百億円です。

これを寺院数7万7千で割ってみると、年間の1ヶ寺あたりの葬儀収入は約600万円。成り立ちます。さらに回忌法要、月参り、お盆参りなどの「法事」がありますから、収入はさらに大きくなるでしょう。おそらく年間で1千万円ほどにはなる計算でしょうか?

さらにさらに、日本の「大寺院」には「観光収入」と言うものがあって、これは詳細は不明ですが、最大で1ヶ寺あたり年間で数億円、小さくても数千万円と言われています。

またさらに、大都市圏の寺院には土地収入があって、何もしなくても毎月数百万円という収入があるお寺もあります。

極めて乱暴なやり方ですが、葬儀法事観光土地収入、推計で全部あわせて平均してみると、概ね1ヶ寺あたり年間2,000万円くらいではないでしょうか?

そうすると月間で「お寺ひとつ」にまわっているお金は160万円強。これが全て「統計に表れている日本の仏教徒」による支出だとして1人あたり3,000円、世帯で6,000円ほどという計算になります。なんとなく、実感としてそんなものかなと感じる金額です。

興味深い数字になります。実際には「仏教」と言われるものに対して月間¥3,000/人の支出をしているにもかかわらず、「寄付」であると認識されているのは¥140/人だと言うわけです。

これはどういうことでしょう?

わたしは、日本人にとっての「仏教」=「サービス業」という認識なんだろうなと感じます。

「セレモニー」「観光資源」に対する「対価」として、金銭を「支払う」という感覚。

また稀に「仏教講座」のようなモノがあったとしても「受講料」として「支払う」という感覚。

「お寺」は、博物館や遊園地と同じような「遊覧体験」を提供する施設、もしくは「セレモニー」を挙行するための特殊な施設、あるいは「サービスの提供者」である所の「僧侶」が駐在する場所。

「僧侶」はセレモニーの挙行にかかる特殊な資格・技能の保持者であるか、施設の管理人。

そんなところでしょうか?

世界の、日本以外のいわゆる「仏教国」の人々の感性とはかけ離れているのが現実だと思います。

これを「良い悪い」で論じるつもりはありません。良いも悪いも、これは歴史的経緯を経て実在する現実ですし、これでまわっている世の中ですからそれで良いと思います。

しかし、寳幢寺は「そうではないあり方」を提案しています。世界標準に近づけば、日本はもっと良くなると思っているからです。

「セレモニー」「観光資源」としての仏教も良いと思います。たしかにひとつの機能、魅力ではあるとおもいます。しかし、仏教の本当の威力は、そこには欠けていると思います。

今、日本にはかつてなく、外国の人々がやってくるようになっています。当然「仏教国」から「仏教徒」達もやってきます。多くの外国の仏教徒達は、日本仏教のあり方に違和感を感じています。そして、それは日本の社会全体に対する違和感とも繋がっているように感じられます。

先日寳幢寺にお詣りに来られたミャンマーの女性はこのように語っていました。

「私は日本に憧れて、日本語を勉強し、留学も出来て、そして念願の日本での職を手に入れて日本に暮らしている。とても幸せに思う」
「しかし、日本に住んでいると、時々とても心が苦しくなる。心が無くなってしまったような感覚に襲われる」
「日本の職場で働くのが苦痛に感じることがある。日本人と生活するのが苦痛に感じてしまうときがある」
「大好きな日本なのに、そんな風に感じてしまうのが嫌だし、怖い」
「日本にいると、そんなときに頼りになる仏教もない。お寺はある、お坊さんもいるけど、ミャンマーとは違いすぎて、行っても意味が感じられない」

聞いていて、こちらも胸が痛みました。

また、こんなこともありました。かつて私(龍源)が東京で用事があって、正式な僧侶の衣で道を歩いていたときのことです。酔っ払った外国人の男性に絡まれたのです。その男性は仏教徒であるらしく、日本仏教のあり方にストレスを溜めていたようです。彼は私に気がつくと寄ってきてカタコトの日本語でからみ始めました。

「あんたさ、そんな服着てお坊さんのつもりって言ってるの、やめた方が良いよ」
「日本の仏教はね、仏教を汚してるよ、やめた方が良いよ」
「お坊さんだって言って、お金欲しいんでしょ、お金稼げると思ってる」
「ボクは仏教大事と思ってるから、日本人間違った仏教やめた方が良いよ」
「仏教しらないのに、お坊さんの服着てお坊さんのふりするの、ほんとやめた方が良いね。お願いだからやめろよ」

苦笑いするしかありませんでした。気がついた仲間の人が「よせよせ」と止めてくれたので、それ以上はなく無事に済んで良かったですが、考えさせられた事件でした。

我々日本仏教のあり方は、無意識に外国の仏教徒を傷つけているのかも知れない。

「じゃあ日本に来るな」というのは簡単ですが、それではいけないと思います。

「仏教である」という以上、外国と関わりを持つ以上、ある程度の理解と責任は持たないと、互いに尊敬も尊重も出来ないと思います。

別に外国におもねる必要は無い、へつらう必要も無い。しかし、我々自身、自分達の精神文化を、きちんと見つめるべき時が来ているのではないでしょうか?

仏教でなくてもいいとおもいます。神道でも、或いは武士道でも。我々日本人は、こころのありかた、世界観のあり方に、完全に無意識でありすぎたのではないでしょうか?

世界有数の「仏教国」である(とされる)日本。コンビニよりもお寺が多く、高校教師よりも僧侶の方が多い日本は、もう少し「仏教」について、意識を持った方が良いと思うのです。

まずは、自分たちの思っている「仏教」と、世界の人々が思っている「仏教」にズレがある。大きなズレがある。その事実に目を向けるところから始めるべきだと思います。

それをせずして「日本には法隆寺がある。東大寺がある。高野山がある」と言ってみても、どこか空虚なような、そんな気がするのです。

 

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