太祖神拳 p.2

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◆ 商派北少林拳

 その後、北少林寺の中で代々伝承されてきたこの武術は、清代に武将「商士芝(しょう しし)」(1795~1880)が出るに至り、大きく発展を始めます。

 商士芝(字:徳周)は薊州城西公楽亭の人で、幼い頃より武術を好み、十二歳で北少林寺に在家弟子として入山。

 景礼(けいれい)大師に師事して苦練を重ね、奥義の全てを修めると、他人の推挙を得て宮廷の内衛士(ないえじ=皇帝親衛隊)として採用されます。

再建中の盤山北少林寺
義和団の戦士達

 また河南省嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)の拳も学び、独自の工夫も加えてついに北少林寺の拳法をさらに一段高いレベルに引き上げました。

 その武芸は凄まじかったと伝わり、井戸の底に向けて拳を打ち出すと、底の水が噴き上がったとか、離れた場所の相手を気合いだけで倒したとか、超人的な伝説が残っており少林拳の秘奥義「百歩神拳」を極めた達人として畏怖されました。

 彼は俗人としてはじめて北少林之拳の正統継承者と認められ、彼の武術は「商派北少林拳(しょうは きたしょうりんけん)」とも呼ばれるようになりました。

 清朝末期、中国が動乱の時代を迎えると、憂国の士であった商士芝は自分の武術を広く伝え、火器など強力な武器を持たない民衆に自衛の力を与えようとしました。

 この武術は義和団(ぎわだん)などの武術結社にも伝わり、その強力な実戦能力から、広く研究され訓練されたと言われています。

◆ 河北大槍 李青

 この動乱の時代にあって、商士芝の武術は、清朝の武将「李青(り せい)」に引き継がれます。

  河北省三河市段甲嶺の人李青は商士芝の高名を慕って弟子入りし、その奥義をうけて正統伝承者となると「河北大槍(かほくだいそう)」の異名をとって名を馳せ、紫禁城神武門(しんぶもん=北門)守護の将軍となります。

 「槍をとっては及ぶ者なし」と言われた李青ですが、時代は武将にとって冬でした。

 清朝が崩壊すると、自ら稼がねばならなくなり、李青は弟子を集めて傭兵団をつくって、河北一帯の商人や金持ちに雇われて店舗や旅の護衛をしました。

「河北大槍李」

紫禁城神武門 現在の故宮博物館入口

 と大書された彼の旗は国中の賊を震え上がらせ、どんな賊も決して寄りつかなかったと言います。

 第二次世界大戦では、李青の弟子達が対日戦に活躍しました。

 日本軍の猛烈な銃剣突撃に正面から立ち向かい、これに勝てたのは、李青の高位の弟子であった節振国(せつ しんこく)の率いた部隊だけだったと言います。

 しかし節振国はじめ、これらの弟子達は皆戦いで命を落としました。

 李青自身は大戦を生き延びましたが、次にやってきたのは文化大革命という大災厄でした。

 古い文化を徹底的に否定、破壊した文革では、清朝の高位の将軍で有名な武術家であった李青は恰好の標的でした。

 老いたとは言え李青ほどの武術家に直接手出しをする者はさすがにいませんでしたが、紅衛兵は「食べ物を得られないようにして餓死させる」という、極めて卑劣な手段で李青を追い詰めました。

 彼を助ける者は紅衛兵によって一族共々ひどい目に遭わされるのがわかっていたので、誰もが見て見ぬふりをしましたが、彼の最後の弟子であった劉勝英(りゅう しょうえい)のみは夜陰に紛れて北京から天津まで自転車で通い、こっそりと食糧など生活に必要な品を届けていました。

 しかし高齢と劣悪な住環境、十分ではない食糧によって李青は衰弱し、劉勝英に秘伝の全てを与えると1976年、ひっそりと息を引き取ったと言います。

 このように伝え聞いていますが、少し困ったことがあります。

 李青が商士芝に弟子入りしたのは1884年と伝えていますが、商士芝はこの4年前に亡くなったことになっています。年代が合いません。

 また、清朝の滅亡は1912年ですから、没年(1976年)が正しいとすると、その64年前に現役の将軍だったと言うことになります。

 20歳だったとして、生年は1892年。たとえ1884年に商士芝が生きていたとしても弟子入り出来ません。おそらく商士芝1880年没は正しいので、そうなると李青の没年齢が100歳だとしても商士芝が亡くなる年で4歳です。「高弟であった」というのは無理があると思えます。

 どうも、商士芝と李青の間に、実はもう一世代あったのではないかという気がします。

◆ 中国軍最強特殊部隊教官 劉勝英

 李青の最後の弟子にして正統継承者である劉勝英(1950~)は6歳から李青について武術を学び、天性の才能と人一倍の努力、師への真心によって李青に見込まれ、商派北少林拳=太祖神拳の全伝を得るに至りました。

 その経歴と実力が認められ、中国人民解放軍の最強部隊と言われる第38軍の特殊部隊格闘技教官や警察大学校の逮捕術教官の指導官を歴任。

 国家要人を警護するSPの育成に関わったり、スポーツ面では「散打(さんだ)」の競技の成立に関与、また高名な選手を育成するなど各方面で活躍しました。

 これらの功績から、現在第38軍の終身教官の栄誉をうけており、軍や警察などの実戦部隊から大きな尊敬を集めています。

劉勝英大師

 劉老師には軍・警察・伝統芸能界を中心に多くの弟子がいます。

 有名な弟子にはアクション俳優の于栄光(ユー ロングァン)、京劇俳優の張来京等がいます。

 現在は掌門(しょうもん=家元)を蒋江文(しょう こうぶん)に譲り、ご自身は太祖神拳の故地、かつて北少林寺があった天津の薊州に道場をつくって少年達に伝統の武術を教えておられます。

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