陳氏太極拳 p.4

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◆ 国家規定拳の成立と文化大革命


 第二次世界大戦とそれに続く国共内戦が終わり、共産党が政権を握ると、指導者毛沢東は健康体操としての太極拳の効能に注目し、国家プロジェクトとしてこれを進めます。

 もっとも普及していて、比較的練習しやすい楊式をベースにいくつかの国家制定套路が作られ、国民に推奨されました。今でも最も普及している太極拳と言える「簡化二十四式」などがこれに当たります。

 そして悪名高い「文革」がやってきます。伝統文化を「悪」と決めつけ、徹底的に排斥した文化大革命では優秀な武術家も大勢犠牲になりました。たとえ死に追いやられずとも、学ぶことも教えることも出来ず、武術の命脈は絶えたも同然になったケースがたくさんあったようです。陳氏太極拳の一門では、将来を期待された陳発科の長男「陳照旭(ちん しょうきょく)」が殺されています。

◆ 競技太極拳の興隆

 文革が終結すると、各方面で文化の見直しが行われ、武術は健康運動としての他、近代的スポーツ競技の1つとして復興を遂げます。

 各地の体育系大学を中心に、国家レベルのプロジェクトとして、各流派の套路の整理と標準化が図られ、指導者ごとにばらばらだった形そのものから価値観まで統一が図られました。

 それまではある種秘密結社的な、極めて固く閉じられた世界のものか、あるいは軍事技術として一般人からは遠い存在であった武術が、標準化され解放されて、誰しもが楽しめる「スポーツ」の1種目となったという点で、大変に大きな出来事だったと言えます。

 これにより武術は採点競技として、あるいは「散打(さんだ)」「推手(すいしゅ)」といった格闘競技として人気を博し、大学に専門の学部も出来るなど大な変化を迎えました。またブルース・リーをはじめジャッキー・チェンやジェット・リー等による武術映画のヒットなどによって国内のみならず世界中から注目を集め、まさに中国の国民的文化として広く受け入れられるようになりました。

 特に太極拳はその名声に加え、套路のバリエーションの多さ、動きがゆっくりで飛んだりはねたりが少なく、どんな体力状況の人でも割合気軽に始められること、確かな健康効果、等が評価されて、圧倒的な人気を誇ります。

 一方、不遇な時代の長かった伝統武術の世界も、文革を生きのびた民間の伝承者達によって命脈は繋げられ、現代でも数こそ少ないもののしっかりと受け継がれているようです。

◆ 陳発科の後継者たち

 伝説の達人陳発科には多くの弟子がいましたが、陳照丕(甥)、陳照旭(実子)、陳照奎(実子)、潘詠周、王鶴林、洪均生、沈家楨、雷慕尼、顧留馨、馮志強等が特に高名です。

 この中で、長男の陳照旭は文革で殺されますが、その子である陳小旺(ちん しょうおう)老師は現在も高名な武術家として活躍されています。最後の内弟子であった馮志強(ふう しきょう)老師は独自の研究を加えて「混元太極拳」を創始、世界中にお弟子さんがいます。

陳照奎

 陳発科の正統を継いだのは、実子の陳照奎(ちん しょうけい)でした。陳照奎老師は伝説の人であった父に劣らぬ実力を身につけ、さらには武器術の研究も深く進めて独自の境涯に達し、特に関節技である「擒拿(きんな)」に関しては百発百中の神業と称されました。

馮志強

 文革中は不遇で、兄である陳照旭のように殺害されることは免れましたが、バスの切符切りなどをしながら秘密に修練を行っていたといいます。文革が終結すると、活発に伝授を行い、現在高名な陳氏太極拳の老師達のほとんどが陳照奎師の教えを受けています。

 文革時の悲惨な体験からでしょうか、武術の伝統を絶やさぬようにとの思いが強く、自分の体調など二の次に考えて精力的に全国を教えて廻り、ついには不調をおして出向いた出張先で亡くなるという悲劇的最期を遂げておられます。

◆ 現代の伝承者
陳瑜大師

 現在北京では、陳照奎の実子である陳瑜(ちん ゆ)大師が活躍しておられ、陳発科正伝の風格を伝えておられます。

 套路の表演は重厚正確で、祖父、父親譲りの推手、擒拿の実力は圧倒的なものがあります。

 また、陳照奎の弟子であった馬虹(ば こう)、陳家溝では陳小旺(ちん しょうおう)、陳正雷(ちん しょうらい)、王西安(おう せいあん)、朱天才(しゅ てんさい)など、陳発科、陳照丕に連なる老師達がご活躍です。

 心神武術アカデミーには陳瑜老師の「大弟子(最高位の弟子)」である周継革(しゅう けいかく)老師を通じて、この陳発科正伝の系譜が継承されています。 

周継革老師
寳幢寺龍源師

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