「実験寺院」とは?
「実験寺院」は、これまでの日本仏教における「宗門・宗派」とは文脈を異にする仏教のあり方を模索する中で生まれた概念です。
奈良時代以来、日本の歴史に受け継がれた各宗派は、それぞれに素晴らしい展開と発展を遂げてきましたが、現代に於いては「伝統」と「宗派組織」という枷をはめられて、身動きが取りにくくなっているように見受けられます。
日本の仏教思想には他所にはない大きな魅力と可能性がある。なのに、構造的にその威力が発揮できなくなっている。
この現状を打破し、仏教が本来の意義を発揮できる道はないのか。この問いに対するひとつの仮説が「実験寺院」でした。
旧来の「宗派」とは全く違う「宗教」でさえない「寺院」のありかた。
ブッダ=シャカムニ以来の智慧を、大切に受け継ぎつつ実際の社会に即してアップデートを続けていく。
「そこに行けば哲学がある」
過剰な権威や厳めしい伝統、組織の論理など纏わない軽やかな「ひとづくりの拠点」
シャカムニの頃の「寺院」はそんな場所だったかもしれません。
施設紹介
About Facility寳幢寺
Houdou-ji所在:京都府京都市
西陣織の会社・工場跡地をお借りして運営
本尊:釈迦如来座像・不動明王座像
実験寺院の第一号で旗艦寺院です。
数多くの企業経営者、起業家、学生などが訪れ、日々仏教思想の社会実装が行われています。








禅河院
Zenga-in所在:兵庫県西脇市
築150年以上の古民家
本尊:釈迦如来絵像・普賢菩薩絵像
実験寺院第二号で団体での研修や長期のリトリートなど、滞在型の企画に使用されています。
田畑に囲まれた静かな集落に位置し、瞑想などに最高の環境です。
実験寺院の「実験」
1. 「宗派の論理」を持ち込まない
私たちは伝統を否定しません。むしろ、積み上げられた智慧の結晶を心から尊敬し、活かしたいと願っています。しかし、既存の「宗派組織」には、時に身動きを封じてしまう「枷(かせ)」が存在することも事実です。 実験寺院は、特定宗派の枠組みや檀家制度に縛られません。組織の維持を目的とするのではなく、「仏教思想を広く公共に提供すること」を最優先する、全く新しいカテゴリーのグループです。
2. 僧侶は「仏教思想のプロフェッショナル」である
現代において、僧侶のあり方は多様化していますが、私たちは「仏教思想を社会に活かす専門家」であることにこだわります。 専門家である以上、相応の能力、覚悟、そして厳格なあり方が求められます。私たちは広く門戸を開きつつも、真に公益に資するため、設定した「要件と規則」を妥協なく厳守します。
3. 寺院は「社会実装」のための拠点である
寺院を、単なる観光資源や儀礼サービスの提供場、あるいは公民館的な地域資源とは考えません。それらは副次的な機能に過ぎません。 私たちにとって寺院の主要な意義は、「出家者が研鑽を積む暮らしの場」であり、同時に「仏教思想が社会へ実装される最前線」であることです。文化財の維持よりも、今この場所で智慧が機能しているか、その一点にこだわります。
4. 仏教を「商売の道具」にしない
私たちは、運営資金のすべてを「寄付」に委ねるという困難な挑戦を続けています。 仏教を「稼ぐ手段」にした瞬間、出家者の精神は歪み、社会との関係も「損得勘定」に支配されてしまうからです。 出家者は私有財産を放棄し、社会からの寄付を糧に生きる。社会は寄付を通じて出家者を支え、その健全なあり方に責任を持つ。この「依存し合うことで生まれる健全な緊張感」こそが、仏教本来の姿だと信じています。
5.安易な迎合をしない
私たちは、仏教を「安易に現代風にアレンジして面白く見せる」という試みには加担しません。 むしろ、アジアの伝統的な修行者たちとも対等に、あるいはそれ以上に真摯な姿勢で「仏陀の智慧」に向き合いたい。 日本の仏教が、世界の仏教者から再び「敬意」を持って見られる存在になるために。 表面的な演出で誤魔化し社会に媚びるのではなく、出家者のあり方という「構造」そのものを世界標準へと正すこと。 それこそが、私たちが背負うべき責任だと考えています。
