生きづらさを感じていますか?
みんな何か、違和感を感じている。
それは私たちが「自分」に囚われているからかも知れません。
「自我」がなければ、生きていくことは出来ないし、生きているとも言えないでしょう。
でもその「自我」が地球よりも重くなってしまったら?
その重みで私たちの星は沈んでしまうのかも知れません。
求心力を持ちすぎた「自我」がバランスを失って、いろんな問題を引き起こしているのかも知れない。
では今、私たちになすべきは何だろう?
自我(エゴイズム)という重力に魂を引かれた私たちは、いつのまにか自分中心でしかものごとを考えられなくなっていないだろうか?
繋がり合い、響き合っている全宇宙の森羅万象のひとつとしての「わたし」を忘れて、重たい重たい「自我」に全てを引き込んでいないだろうか?
つながる世界を見失った私たちは、全てを自分の中に引き込み、自分以外の全てを消費し尽くそうとしているのではないだろうか。
資源を消費し、環境を汚し、他者を軽視し、他人を傷つけ
山も海も森も川も、すべてエゴが呑み込もうとしている。
人類は変わらなきゃ!たくさんの人が声を上げる。
そんな大袈裟な!またたくさんの人が目を背ける。
でも思い起こしてみて欲しい。
「エゴからの解放」「自己中心主義からの脱却」
これは2500年前に仏陀シャカムニが説いたこと。
2500年前と、私たちは何も変わっていない。変わることが出来ていない。
いま私たちが感じている脅威に、仏陀はずっと昔から気がついていた。
でも私たちの祖先達は変わってこなかった。
まだ大丈夫。明日も今日と同じように、平穏な毎日が続いていくさ・・・
そして2500年の時が流れた。
明日も、明後日も、今日までと同じような、普通の日々が続いていくのだろうか?
私たちの社会は、私たちの地球は、増大する個人のエゴを受け止め続けてくれるのだろうか?
山は?海は?美しく豊かだろうか?
森は?川は?清らかで命に満ちているのだろうか?
田畑は?会社は?充実して喜びに満ちているだろうか?
社会は?個人は?活き活きと、幸せなのだろうか?
いまの自分のあり方は、これでいいのだろうか?
問い続けること、考えることを始めよう。
目を背け、耳をふさぎ、気を紛らわせて、根拠のない楽天主義に生きることは、もうよそう。
自分ごととして、リアルに考えよう。
私が世界を変えてやる!なんて大それたことを期待するのではなくて、自分ひとりの力なんて、と悲観するのでもなくて。
ただ「これでいいのか?」を考えよう。「どうすれば?」を問い続けよう。
エゴの重力に囚われないように、囚われているかも知れない自分に気がつこう。
仏陀の教え、仏教の本質は時を超えて、今なお重要な問題だ。
人類が、超えてはならない一線を越える前に。
もう、エゴイズムや日和見、現実逃避はやめにしよう。
小さなひとりの、小さな気づきは、やがて世界を変えていくことだってできる。
仏陀が2500年前に夢みた世界。その実現は、今こそ私たちに託されている。